☆嵐山・嵯峨野周辺~西山周辺
龍安寺(りょうあんじ)は、臨済宗妙心寺派。1450年(宝徳2年)、細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受け、妙心寺の義天和尚を開山とし禅寺に改めた。石庭として有名な方丈庭園(史跡・特別名勝)は三方を築地塀に囲まれた枯山水の平庭で、「虎の児渡しの庭」と…
大覚寺(だいかくじ)は、真言宗大覚寺派の本山。876年(貞観18年)、嵯峨天皇の離宮嵯峨院を寺院に改め、歴代の天皇や皇族が住持された門跡寺院であり、嵯峨御所として知られる。境内にある宸殿(重要文化財)は徳川2代将軍秀忠と浅井長政の三女であるお江…
法輪寺(ほうりんじ)は、713年(和銅6年)行基が開創。829年(天長6年)空海の弟子道昌が虚空蔵(こくうぞう)菩薩像を安置し、法輪寺と称した。名勝嵐山の中腹に位置する。「十三まいり」の寺として有名で、数え年13の男子、女子が智恵と福徳を授かるため…
松尾大社(まつおたいしゃ)は、大宝元年(701年)、渡来人秦(はた)氏が一族の氏神として信仰した古い社。大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祭り、境内に霊亀ノ滝、亀ノ井の名水があり、酒造家の信仰が厚い。室町初…
梅宮大社(うめのみやたいしゃ)は、橘諸兄の母、橘三千代が酒解神、酒解子神(大山祇、木花咲耶姫)を祭り酒造安全と子孫繁栄を祈願した神社。檀林皇后(嵯峨天皇の后)が井手町から現在地に遷座。皇后は当社に祈願し初めて皇子をもうけたといい、以来子授…
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市にある神社。旧称は「男山八幡宮」。二十二社(上七社)の1つで、伊勢神宮(三重県伊勢市)とともに二所宗廟の1つ。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 「石清水」の社号は創建以来の由…
天龍寺(てんりゅうじ)は、臨済宗天龍寺派の大本山。足利尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるため、1339年(暦応2)夢窓国師を開山として創建。室町時代には京都五山の第一位を占めた。創建以来八度にわたる大火で創建当時の壮大な面影はとどめていない。現在の諸…
常寂光寺(じょうじゃっこうじ)は、京都市嵯峨にある日蓮宗の寺院。山号は小倉山。旧本山は、大本山本圀寺(六条門流)。百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、境内の庭園には200余本のカエデが植えられており、秋は全…
二尊院(にそんいん)は、 小倉山と号し、天台宗山門派(延暦寺)に属する。承和8年(841年)、慈覚大師が創立した華台寺の旧跡と伝えられるが、長く荒れていたのを法然上人の高弟湛空(たんくう)が再興した。 本堂に發遣(ほつけん)釈迦と来迎弥陀の二尊…
向日神社(むこうじんじゃ)は、向日丘陵南端部、乙訓(おとくに)地域を一望できる最良の地に鎮座する。『延喜式神明朝』(えんぎしき じんみょうちょう)に記載された式内社で、「向神社」と称されていました。『向日神社略記』によれば、後に乙訓坐火雷神…
化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)は、華西山東漸院(かさいざんとうぜんいん)と号する浄土宗の寺で、境内には付近から出土した多数の石塔や石仏が立ち並んでいる。 化野は古くから鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)とともに葬地として知られ、 誰…
退蔵院(たいぞういん)は、越前(現在の福井県)の豪族、波多野重道が、妙心寺三世の無因禅師を開祖として、応永2年(1395年)に創建した妙心寺の塔頭である。建物はその後再建され、現在の方丈(重要文化財)は慶長年間(1596~1615年)の建築である。 方丈…
清凉寺(せいりょうじ)は、五台山と号する浄土宗の古刹で、「嵯峨釈迦堂」の名で知られている。 この地には、一説では『源氏物語』の主人公の光源氏のモデルであったといわれる源融(みなもとのとおる)の山荘、棲霞観(せいかかん)があり、融の没後、棲霞…
鹿苑寺(ろくおんじ)庭園は、衣笠山を借景に、既存の池にさまざまの名石を据え、池に向かって三層の豪華な舎利殿金閣建て、山上に展望所を建てています。手ぬぐい画像を追加しました。
祇王寺(往生院)(ぎおうじ:おうじょういん)は、往生院祇王寺と号する真言宗の寺である。寺伝によれば、この地は、平安時代に、法然上人の弟子、念仏房良鎮が往生院を開創し、後に祇王寺と呼ばれるようになったと伝えられている。 平家物語によれば、祇王…
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