2020-01-01から1年間の記事一覧
金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、京都市左京区にある浄土宗の寺院。三門周辺では、春は桜、秋は紅葉が楽しめ、美しい夕景が拝めるポイントでもある。手ぬぐい画像を追加しました。
圓光寺(えんこうじ)は、京都市左京区一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は瑞巌山。 慶長6年(1601年)徳川家康は国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。圓光寺学校が開か…
金福寺(こんぷくじ)は、京都市左京区一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺である。山号は佛日山。本尊は聖観音菩薩。貞観6年(864年)、円仁(慈覚大師)の遺志を継ぎ、安恵僧都が創建。江戸中期に鉄舟和尚が再興し、現在は臨済宗南禅寺派。松尾芭蕉が鉄舟と親…
安楽寺(あんらくじ)は、住蓮山安楽寺と号する浄土宗の寺院である。手ぬぐい画像を追加しました。
蹴上インクライン(けあげいんくらいん)は、京都市左京区にあった琵琶湖疏水による舟運ルートの一区間をなす傾斜鉄道(インクライン)で、南禅寺~蹴上間で明治24年(1891年)昭和23年(1948年)まで実用に供された。 琵琶湖疏水は京都と大津間の船の輸送を…
南禅寺(なんぜんじ)は、臨済宗南禅寺派の本山。正応4年(1291年)、亀山法皇の離宮を賜り、無関普門(大明国師)が開山。室町時代は隆盛を極め、「五山之上」に列せられた。応仁の乱で焼失した伽藍を〈黒衣の宰相〉といわれた以心崇伝によって復興。境内に…
大石神社(おおいしじんじゃ)は、昭和10年赤穂義士大石良雄の義挙を顕彰するため、大石を祭神として創建された。 大石の山科旧居は神社の付近にあった。毎年4月14日の春季大祭と12月14日の討ち入りの日に義挙記念祭が行われる。大石は、赤穂城の明渡しの後…
岩屋寺(いわやじ)は創建時は天台宗に属し、比叡山三千坊の一つであったが、現在は曹洞宗永平寺派天寧寺の末寺で神遊山金地院と号する。古来は隣接する山科神社の神宮寺であったと伝えられる。赤穂義士・大石良雄(通称大石内蔵助)の隠棲地として有名で、…
勧修寺(かじゅうじ)は、真言宗山階派の大本山で、平安中期の900年に醍醐天皇の母・藤原胤子を弔うために、胤子の母の実家である宮道家邸宅を寺に改めたのが始まりといわれる。 天の祖父にあたる藤原高藤の諡号をとって勧修寺と名付けられ、後に醍醐天皇の…
貴船神社(きふねじんじゃ)は、水徳神高龗神を祀る旧官幣中社で、社名は古くは木船、貴布祢とも書かれたが、明治4年(1871年)以降「貴船」と改められた。 平安時代延喜の制には、明神大社という最も高い格式に列し、日照りや長雨が続いたとき、また国家有…
河合神社 下鴨神社(しもかもじんじゃ)は、平安時代から存在する京都で最も古い神社の一つで、平成6年(1994年)に世界遺産に登録された。 上賀茂神社の祭神である賀茂分雷神の母の玉依媛命と玉依媛命の父の賀茂建角身命を祀ることから、正しくは賀茂御祖神…
由岐神社(ゆきじんじゃ)は、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀る。 天変地異が続く都を鎮めるため、天慶3年(940年)、御所内に祀られていた祭神をこの地に勧請したのが当社の始めとされ、天皇の御病気や世上騒擾のと…
鞍馬寺(くらまでら)は、奈良、唐招提寺の開山鑑真和尚の高弟、鑑禎上人が、宝亀元年(770年)、鞍を負った白馬の導きで唐山に至り、毘沙門天を感得して草庵を結んだのが始まりである。 延暦15年(796年)には、藤原伊勢人が王城鎮護の道場として伽藍を造営…
妙蓮寺(みょうれんじ)は、法華(日蓮)宗京都二十一カ寺の本山で、日蓮上人の孫弟子・日像上人を開基とする。 永仁2年(1294年)に、造酒屋の柳家仲興が日像上人に帰依して、西洞院五条の邸を寺に改め、柳寺と称したのが当寺の起こりで、応永年間(1420年…
妙顕寺(みょうけんじ)は、正しくは四海唱導妙顕寺といい、日蓮宗の大本山の一つである。 日蓮聖人の孫弟子にあたる日像上人が、元亨元年(1321年)に、京都における日蓮宗最初の道場として創建したのが当寺の起こりである。 建武元年(1334年)には、後醍…
本隆寺(ほんりゅうじ)は、法華宗真門流の総本山で、正しくは慧光無量山本妙興隆寺という。法華宗京都八本山の一つである。 開山は中山大納言親道卿の子・日真で、後に、後柏原天皇により日蓮聖人の正当な流れであることを証する大和尚の称号が下賜された。…
本法寺(ほんぽうじ)は、叡昌山と号し、日蓮宗本山の一つである。永享8年(1436年)本阿弥清信が日親上人を開基に請じて創建したのが当寺の起こりという。 はじめ四条高倉にあったが、天文5年(1536年)法華の乱によって山徒に焼かれ、のちにここに移った。…
本能寺(ほんのうじ)は、法華宗本門流の大本山で、応永22年(1415年)、日隆上人によって創建された。 当初は本応寺と称していたが、永享5年(1433年)、六角大宮に移転した際、本能寺と名を改め、更に天文14年(1545年)、油小路蛸薬師一帯に広大な寺域を…
法輪寺(ほうりんじ)は、臨済宗妙心寺派に属し、三国随一といわれる起き上がり達磨をはじめ、心願成就を祈って奉納された八千余りもの達磨を達磨堂に祀っていることから、達磨寺の名で親しまれている。 江戸時代の享保12年(1727年)に、萬海和尚が創立した…
平野神社(ひらのじんじゃ)は、平安遷都に伴って、奈良の平城京からこの地に移された神社で、祭神として、今木神、久度神、古開神、比賣神の四柱を祀っている。平安時代中期には、伊勢、賀茂(上賀茂・下鴨)、石清水、松尾に次ぐ名社に数えられた。 桜の名…
大報恩寺(だいほうおんじ)は、瑞応山と号する真言宗智山派の寺院で、千本釈迦堂の名で知られている。承久3年(1221年)藤原秀衡の孫、義空上人が、猫間中納言光隆の家卒、岸高より寄進を受けたこの地に、小堂を建て一仏十弟子像を安置したのが当寺の起こり…
瑞峯院(ずいほういん)は、大徳寺の塔頭の一つで、天文4年(1535年)に九州の戦国大名・大友義鎮(宗麟)公が自分の菩提寺として建立した。大徳寺の徹岫宗九和尚を開祖に迎え、自らの法名をとって瑞峯院と名付けた。宗麟は後にキリスト教の洗礼を受けたキリ…
水火天満宮(すいかてんまんぐう)の祭神は、平安時代の政治家であり、漢詩人・学者としても有名な菅原道真である。由緒書・家系図には、「洛陽一条下り松の霊地に、雨水雷火の難を清除の守護神として菅公を祭る為に、延暦寺の尊意僧生に勅命ありし、日の本…
仁和寺(にんなじ)は、仁和4年(888年)に宇多天皇により完成した勅願寺で、また皇子・皇孫が門跡を務めたことから門跡寺院の筆頭として「御室御所」といわれています。 応仁の乱(1467~1477年)により、全伽藍を消失しましたが、寛永18~正保元年(1641~164…
神泉苑(しんせんえん)は、延暦13年(794年)桓武天皇が平安京の造営にあたり、大内裏の南の沼沢を開いて設けられた苑池であり、常に清泉が湧き出すことから神泉苑名付けられた。 その境域は、南北4町東西2町という広大なもので、境内には大池と中嶋のほか…
上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)は、蓮華金宝山九品三昧院と号する真言宗治山派の寺院である。 古くは聖徳太子の創建と伝えられ、当初は香隆寺と称したが、天徳4年(960年)に宇多法皇の勅願により、寛空僧正が再建し、寺号を上品蓮台寺と改めたといわれ…
高瀬川一之船入(たかせがわいちのふないり) 船入とは、荷物の積み下ろしや船の方向転換を行う場所で、二条から四条の間に9個所作られたが、国の史跡に指定されているこの場所を除いてすべて埋め立てられている。 高瀬川は保津峡の開発などで有名な江戸初…
雨宝院(うほういん)は、北向山雨宝院と号する古義真言宗の寺で、「西陣の聖天さん」として親しまれている。 本堂に安置する本尊「聖天(大聖歓喜天)像」は、821年、弘法大師(空海上人)が嵯峨天皇の御悩平癒を祈願して安置したものとされ、それが当寺の…
退蔵院(たいぞういん)は、越前(現在の福井県)の豪族、波多野重道が、妙心寺三世の無因禅師を開祖として、応永2年(1395年)に創建した妙心寺の塔頭である。建物はその後再建され、現在の方丈(重要文化財)は慶長年間(1596~1615年)の建築である。 方丈…
清凉寺(せいりょうじ)は、五台山と号する浄土宗の古刹で、「嵯峨釈迦堂」の名で知られている。 この地には、一説では『源氏物語』の主人公の光源氏のモデルであったといわれる源融(みなもとのとおる)の山荘、棲霞観(せいかかん)があり、融の没後、棲霞…